このページでは、プレスリリースには書ききれなかった、このプロダクトが生まれるまでの開発者の個人的な経緯と、私たちがこのサービスに込めた思いについてお話しします。機能の説明でも、技術的な解説でもありません。なぜ私がこのシステムを作らなければならなかったのか、その話です。
私の地元は、宮城県石巻市です。
あの日、津波は、石巻市立雄勝病院も飲み込みました。3階建ての病院には入院患者40人と職員28人がいました。患者全員と職員24人、合わせて64人が亡くなり、助かったのはたった4人でした。
伯母は、この病院の職員でした。
雄勝病院の職員たちは、患者を残して逃げることができませんでした。寝たきりの高齢の患者を担いで裏山に避難させる時間はなく、3階建ての屋上まで搬出することが精一杯だったと聞いています。近所の住民が病院職員に「山に逃げろ」と声をかけていたそうです。病院のすぐ裏には避難に適した山がありました。しかし、職員たちは患者のそばを離れなかった。中には非番だったのに病院に駆けつけた職員もいました。
命を守る仕事をしている人たちは、職務を全うしようとして、命を落としました。
私は今でも、この事実をどう受け止めるべきなのか、答えを持っていません。伯母たちの選択を「間違いだった」とは言えない。しかし「正しかった」と言ってしまえば、次の災害でも同じことが繰り返されます。避難できなかったのではなく、避難を優先できなかった人たちもいた。その悲しみは、正しさや間違いという言葉では到底整理できるものではありません。
同じ石巻市の隣、女川町では、七十七銀行女川支店で別の悲劇が起きていました。
大津波警報が発表され、女川町の防災無線は「至急高台に避難してください」と繰り返していました。走れば1分で着く高台が、支店からわずか260メートルの場所にありました。女川町にあった他の金融機関はすべて、職員を連れてその高台に避難し、一人の犠牲者も出していません。
しかし七十七銀行女川支店では、支店長の指示により、行員13人が2階建ての支店の屋上に避難しました。銀行の災害対応マニュアルに、屋上が避難場所として記載されていたからです。津波は屋上を遥かに超え、13人のうち12人が命を落としました。
犠牲者の中に、私の高校時代の友人の母親がいました。
一方で、マニュアルに従わず独自の判断で高台に向かった職員は助かっています。堀切山の高台に避難した600人以上の住民たちは、支店の屋上に立つ行員たちに向かって「こっちに来い」「早く逃げろ」と叫んでいました。屋上から津波に飲み込まれるまでの一部始終を、多くの人が見ていたのです。
支店長は、外出先から急いで戻り、片付けを最小限にするよう指示した上で、屋上への避難を決断しています。マニュアルに避難場所として支店の屋上を追加した本店の担当者も、宮城県の危機対策課に相談した上で、当時の科学的知見──過去の津波最大高4.3メートル、宮城県の想定最高水位5.9メートルに対して屋上は約10メートルという根拠──に基づいて判断していました。誰か一人が明確に間違えたのではなく、それぞれが自分の立場で合理的に行動した結果の積み重ねが、あの結果に至りました。
マニュアルは、人の命を守るために存在するはずです。しかしこの日、マニュアルは命を守る役割を果たせませんでした。
あの震災では、情報そのものが人の命を左右しました。
宮城県が事前に想定していた津波の高さは5.9メートルでした。気象庁が地震発生3分後に発表した大津波警報の第一報は、宮城県で6メートル。県の想定とほぼ一致する数字です。
雄勝病院は鉄筋コンクリート造の3階建てで、2階の天井までは海抜6.8メートル、3階には浸水が及ばない想定でした。屋上は海抜10メートルを超えていました。七十七銀行女川支店の屋上も約10メートル。この数字が正しければ、どちらの建物も津波に耐えられたはずでした。マニュアルは、その前提のもとでは合理的に機能するよう設計されていたのです。
しかし、前提そのものが崩れました。気象庁は地震の規模をマグニチュード7.9と推定していましたが、実際にはマグニチュード9.0──エネルギーにして約45倍の巨大地震でした。広帯域地震計が振り切れたために正確な規模をすぐに把握できず、津波の予想高を10メートル以上に更新した第二報が発表されたのは15時14分。しかし、雄勝病院に津波が到達したのはその2分前の15時12分頃でした。16メートルを超える津波が病院をまるごと飲み込み、3階に置かれた時計は3時27分を指したまま止まっていました。実際に襲来した津波は、女川町では20メートルを超えています。
6メートルという数字は、正確に発表され、正確に伝わっていました。しかしその数字が、結果として「ここにいれば大丈夫だ」という判断を支えてしまった。情報は届いていた。しかしその情報自体が、現実と乖離していたのです。
岩手県陸前高田市では、県の津波浸水想定をもとに67か所の一次避難所を定めていました。しかし津波はそのうち38か所を飲み込み、安全とされた避難所で推計303人から411人が犠牲になりました。陸前高田市の検証報告書には「県の津波予測を絶対視し、避難所の見直しを行わなかったことを真摯に反省すべきである」と記されています。行政が安全だと指定した場所で、その情報を信じて避難した人たちが命を落としたのです。
大川小学校では、児童74人と教職員10人が津波で亡くなりました。地震発生から津波到達まで約50分間あったにもかかわらず、学校は最後まで適切な避難行動を取ることができませんでした。
情報が不足していたから命が失われたのではありません。情報が行動を誤らせた面もあれば、情報を確認して正しく避難した先で命が失われた場所もありました。
東日本大震災では、多くの企業が従業員の安全よりも事業の継続を優先しました。
津波が来ているのに、金庫の施錠や書類の格納を優先させた職場がありました。避難を指示すべき立場の人間が、避難の判断を下せなかった組織がありました。震災から数日後には、被災した取引先に対して「納期はいつ回復するのか」「製造への影響を報告してほしい」と連絡した企業がありました。相手がまだ家族の安否すら確認できていない状況で。
消防団員は、防災マニュアル通りに水門の閉鎖や住民の避難誘導に当たり、254人が殉職しました。警察官、自治体職員──職務を全うしようとして現場を離れられず、命を落とした人たちが大勢います。
マニュアルに従った結果、失われた命がある。マニュアルがなかったために、失われた命がある。マニュアルに従わなかったから、助かった命がある。避難を優先できない立場にいて、最後まで誰かのそばにいることを選んだ人がいる。
この現実に向き合わない防災システムは、ただの通知ツールでしかありません。
私がCRISISで実現したいのは、単に情報を速く届けることだけではありません。
まず、人の命を守ること。従業員の安全確保が、すべてに優先するということ。これは当たり前のように聞こえますが、あの日、当たり前ではなかった職場がたくさんありました。
CRISISは、アラートを受信した瞬間に、あらかじめ定めた対応手順を自動で起動します。しかし私たちが本当に届けたいのは、その手順の「中身」を一緒に考える姿勢です。「震度5強以上で安否確認メールを送る」のその先に、何があるべきなのか。
たとえば、サプライチェーンの取引先が影響を受けているとき。最初に送るべきは「納期への影響を教えてください」ではなく、お見舞いと、「無事ですか。何かお手伝いできることはありますか」という言葉であるべきです。無事かどうかの確認と、人間としてのお見舞い。事業への影響を聞くのは、その後です。CRISISのワークフローに、その順序を組み込んでほしい。ユーザーの皆さんに、その手順を自ら考えてほしいのです。
マニュアルは、状況が想定の範囲内にあるときには機能します。しかし、想定を超えた事態が起きたとき、マニュアルの通りに動くことが最善とは限りません。CRISISが指示するのは、具体的な一つの正解ではなく、その状況下で最善を尽くすための判断材料と、行動するための時間を1秒でも多く確保することです。
東日本大震災の発災から、2026年3月で15年になりました。
15年は、長い時間です。震災を知らない世代が社会に出始めています。被災地の風景は復興によって塗り替えられ、かつて何があったのか、目に見える痕跡は少なくなりました。復興は必要なことです。しかし、新しい建物が建ち、道路が整備され、日常が戻ると、なぜ被災したのかという問いは忘れ去られていきます。
三陸沿岸では、およそ40年に一度の頻度で大津波が襲来してきました。1896年(明治三陸津波)、1933年(昭和三陸津波)、1960年(チリ地震津波)、そして2011年(東北地方太平洋沖地震による津波)。その都度、人々は「もう二度と」と誓いました。石碑を建て、語り継ごうとしました。しかし、世代が入れ替わるたびに、その誓いは風景の一部になり、やがて見えなくなりました。
まだ大津波や大災害を経験したことのない地域もあります。
次の災害は必ず来ます。いつかは分かりません。しかし、来ないということだけはあり得ません。
長年、災害情報に携わってきました。
知っている者には、伝える義務があります。知っていたのに伝えなかった、伝えようとしたが伝わらなかった、伝わったはずだったが届いていなかった──伝承の鎖は、どこでも断ち切られる可能性があります。しかし、最初の一環を作ることを放棄した者の責任は最も重い。
私はソフトウェア技術者です。石碑を彫ることはできません。しかし、災害が起きたときに組織が正しく動くための仕組みを作ることはできます。情報を届け、判断を支え、記録を残し、次に活かすためのシステムを作ることはできます。
CRISISは、私の15年間の答えであり、スタートラインです。
最後に、企業の災害対策が抱える構造的な課題についても触れておきます。
2019年に「特務機関NERV防災」アプリをリリースして以来、多くの企業から「この速さを業務システムとして使いたい」「複数拠点の被害状況を一元管理したい」という要望をいただいてきました。
しかし、企業の災害対策には二つの大きな壁がありました。一つは、既存の安否確認ツールの限界。多くのツールは「震度5弱以上でメールを送る」という画一的な条件でしか動かず、大雨や河川氾濫には対応できませんでした。もう一つは、高度なシステムを自前で構築しようとした際のインフラの壁。気象業務支援センターや河川情報センターとの個別契約、受信システムの構築には莫大なコストと技術力が必要であり、防災情報の処理を本業としない企業には現実的ではありませんでした。
そしてこれらの課題の根底には、防災・BCPという業務が本質的に抱えるジレンマがあります。求められる知識は気象学から法律、経営、情報科学まで極めて広範であるにもかかわらず、大きな災害は頻繁には起きないため、担当者の経験が蓄積されにくい。災害は夜間にも休日にも発生し、長期化することもある。結局は「担当者個人の経験」と「居合わせた人の善意と根性」に頼るしかなかった。これは企業の怠慢ではなく、個々の努力では解決できない構造的不可能性です。
だからこそ、危機対応をSaaSとして標準化し、情報収集から判断、記録までを仕組み化できる基盤が必要でした。CRISISはその基盤です。
CRISISは商用サービスです。企業の危機管理を効率化し、事業継続を支援するためのツールです。
しかし同時に、このプロダクトには、反省と願いが込められています。患者のそばを離れなかった医療従事者たちのこと。マニュアル通りに屋上に避難した行員たちのこと。水門を閉めに行ったまま帰ってこなかった消防団員たちのこと。
私にできるのは、次に同じことが起きたとき、一人でも多くの命が守られる仕組みを作ることです。
CRISISを導入してくださる企業の皆さんへのお願いがあります。ワークフローを設定するとき、オペレーションブックを書くとき、どうか一度立ち止まって考えてほしいのです。この手順は、本当に従業員の命を守るものになっているか。マニュアルに書かれていることが、あらゆる状況で正しいと言い切れるか。想定を超えたとき、一人ひとりが自分の判断で逃げることを、組織として許容しているか。
教訓を忘れたとき、歴史は繰り返す。
その責任は、常に今を生きる私たちにある。
ゲヒルン株式会社 代表取締役
石森大貴
CRISISのロゴマーク及び「クライシス」、「デジタル指令室」の名称はゲヒルン株式会社の登録商標です。